只今推し事迷走中

推しを推したいだけだけど、結局のところどうしたいのか自分でも不明で矛盾だらけ。

ツイッターの認知はいらない

008

どうも。ケチャップです。

 

 

なぜツイッターの認知をしてほしくないか。

 

ツイッターは「自由に発言ができる場所」だと思っている。

 匿名だからこそ発信できる言葉もある。

 

 

推しが見ていると思ったら、

 

こう呟いたら推しが気にしてしまうかもしれない

こう呟いたら推しは喜ぶだろう

 

と推しの為のツイートになってしまうのが嫌だった。

それは「自由」ではなく、推しに「縛られる」と感じた。

 

別に過去の呟きを見られることに関しては何とも思わないが

リアルタイムで自分のツイートを万が一見られていたらと思うと

着飾った言葉を選ぶ自分が出てくると思った。

 

自分の言葉では無くなるようで、違和感が生まれた。

 

 

 

推しにはツイッターのアカウント認知はしてほしくない。

 

 

 

 

 

 

 

推し事をしていく上で、推しAはどんな人にも

フランクに話してくれることを知った。

いつか友達感覚で話したいという目標は、

結局は自分次第だと思った。

 

こっちが緊張せずに話せるようになれば、

普通に友達感覚(のようなフランク)に話せるんだと気付いた。

認知なんてなくても自分の緊張さえどうにかなれば。

 

推しに慣れれば緊張は解れるのかもしれないけど 

推しに慣れる日なんて来るのか。

 

とりあえず

楽しく楽しく楽しく、近づきすぎず推し事しようと誓った。

超矛盾な推し事。

007

どうも、ケチャップです。

 

Aの接触系イベントがあった。

(見るわけないと思いつつ)去り際に

「一眼で撮った写真送ったんでいつか見てください」と伝えた。

そしたらAは「▲▲(ツイッターアカウント名)だ!」と。

そんな回答飛んでくると思ってなかったので、

とても驚いた顔でその場を去った。


今までざっくりとしたアイコンの表現だったのに、

とうとうアカウント名を言われた。
名乗っていないので「写真」という単語で引きだしてしまったようだ。

 

『写真を撮るファン=▲▲(ツイッターアカウント名)』
という認識さていたのは純粋に嬉しかった。

 

しかし、私が伝えたかったのはそっちの私ではなかった。
事務所に送った写真を…本名の方の私を伝えたかった。

 

アカウント名が瞬時に出てくるということは、

結構ツイッターを見られてる可能性が高い。
エゴサをかなりしてるのか。記憶力が高いのか。

 


○:写真とツイッターが結びつく
○:ツイッター単独の認知
○:写真と自身が結びつく
○:顔と名前の一致
×:ツイッターと自身が結びつく

 

こんなこと無理な話なのかもしれない。
言ってるこことやってることが矛盾してて

意味不明なことは自分でもわかってる。

 

 

 


ツイッターと自身(何て言うんだろ、生身?人物?私自身)の

一致してほしくない。

なぜかって話は後日。

 

もう写真の話は、直接推しにはしないことにした。

現実と理想の相違に戸惑った結果、認知欲の消失

006

どうも、ケチャップです。

 


仲良く話せるようになるために、推しAに認知してほしいという割に手紙では本名&あだ名、ツイッター、ブログ、その他SNS、ラジオネーム等は全て違うものにしていた。


認知してほしいのかしてほしくないのか…正直自分でもよくわからない状態だった。

変に覚えられて避けられたりしたくなかったからかもしれない。

 

仮に認知されるとしたら、たくさんある名前の中で、推しには「本名」を覚えてほしかった。
特にツイッターは別人として認識してほしかった。
(最初のイベントで名乗り出たのを今更後悔した)

 

 

 


それから、数々のイベントに足を運んだが、いつのまにか認知欲なんて無くなっていた。
推しが間近で見れて、声が聞けて…それだけでいいかって思うようになった。
(認知したからってAは特別扱いするような人でもなかったし)

 

ただ、Aの良さを一人でも多くの人に伝えたくて写真を撮りSNSにアップするのは続けていた。
手紙もたまに書いていたし、良い写真が撮れたら現像して手紙に同封もしていた。
でも接触系イベントで名乗ることは一切しなかった。

 

ツイッターと一致されそうになればなるほど怖かったから。

推しBへの失言

005

どうも、ケチャップです。

 

私の推しの2人の内の一人B。

Bは、今結構ノッてる最中だ(と思う)。

 

多くのキャストがいる中で、彼の名前を呼んだら振り向いてくれて笑顔で私のところへ来てくれた。

そして、ハイタッチしてくれた。

それでコロッと…簡単に落ちた。

 

 

Bの初イベントへ行った時の話。

それはよくある握手会やチェキ会だった。

 

1回だと緊張して何も話せなくて後悔することが多いので、何枚か参加券を準備していた。

1枚出して、また並び直し…そんなことをしていた。

 

あることをして行ったのだが、どうやらそれが自分だけだったようで、わかりやすいて言ってくれた。

毎回そのあることをしていくと、その印象が強すぎて、うわ…また来た…と思われかねないので、3回目くらいにやめた。

 

次に、あることをせずに『別人』として臨んだ。

 

そしたら、普通にバレてた。

なんでさっきあれしてなかったの?て。

覚えてるなんて思ってなかったから驚いた。

 

その後、言うこと思いつかなくて、私は失言した。

思い返しても結構失礼な発言をした。

Bは気にもとめてないかもしれないが、後悔した。

私にはずっとモヤモヤが残ってしまった。

 

同じ過ちを繰り返すまいと誓った。

 

 

 

推しAとの遭遇

004

どうも、ケチャップです。

 

ある日、推しのAと遭遇した。

驚いたけど咄嗟にサインをお願いした。
(いつ何時、誰に遭遇するかわからないので日常的に黒ペンを持ち歩いている)
周りにファンもいなかったので、普通に書いてくれた。

 

せっかくだから名前を書いてもらおうと思って名乗ったら、間違えた名前を書かれた。

もちろん、すぐに訂正した。

この時点で、私の顔は覚えていないんだなって悟った。
それもそのはず、まだそんなに現場へ出向いていなかったから知っているはずがない。
訂正して正しい名前を再度名乗ったら「あの○○のアイコンの人だ」って。
名前とSNSが結びついていて、とても驚いた。


私の名乗ったのは、(手紙に書いてある)あだ名であって、SNS名ではなかったのだが。

 

推しA

003

どうも、ケチャップです。

 

 

私には推しが2人いる。

AとB。

 

 

●Aについて
演技・表情・声に惚れて沼へズボンっと入り込んだ。
俳優に沼ったのはAが初めてだ。
ちなみにリアコとかそういう系ではなく、いつか気軽に話せたらいいなという感じだ。
友達感覚が理想。

 


気軽に喋るようになるにはまず認知が必要不可欠だと思った。
顔と名前。せめて顔だけでも覚えてほしかった。
何回もイベントでループするのが手っ取り早いんだろうが、Aのイベントはループが禁止だった。
色んなイベントに足しげく通い、手紙やSNSで感想等を送りアピールするしかなかった。
そうは言っても、認知なんてそう簡単にされるものではないし、いつか覚えてくれたらいいなというゆるい感じだ。
全通もしてないし、イベントもたまに欠席するし、書くこと無ければ手紙も休んだ。

 

SNSでの発信

撮影許可が出た推しのイベントでは一眼レフを構え、それをSNSでアップし、推しとそのイベントの宣伝をしていた。
推しの良さを多くの人に知ってほしいし、売れてほしいのもあったから。
同担に向けて、推しの共有しやすいようにハッシュタグをつけていた。
この時は、推し本人もこのタグに引っかかっていたとは思いもしなかった。

 

●Aのイベントへ初参加
初イベント参加前に、何気なくAに関して呟いていた。
その内容がイベント中に触れられた。
Aの初現場だったので信じられないくらいドキドキした。

その後、個々で話す時間があり「あの呟きは私でした」と名乗った。
もっと喜んだり驚いてくれると思ってたが、至って普通の反応だった。
でも、やはり自分のことだったことを確信して認知への一歩だと内心ざわついた。

Aはこの日「自分はエゴサをしている」と発言していたが、リップサービスだと思って私は信じていなかった。
ちなみに、この日を境に他の多くのファンもタグ付けして呟くようになった。

 

モブだった

002

こんにちは。

ケチャップです。

 

最近は専ら俳優オタやってるけど、過去色んなオタ経験してきてる。

つまり根っからのオタク気質なわけだ。

Jから始まり、Kポップ、俳優、LD◯、特撮…

まだ踏み込んだことないのはアニメと◯塚とゲームあたりだろうか。

 

 

推しがいる生活はとにかく楽しい。

推しに会うために働いてるといっても過言ではないくらい、日々の活力だ。

 

地方民にとって画面の向こう側にいる『憧れの人と会える』のは、夢のまた夢だった。

歳を重ねるにつれて、自分の自由なお金が出てくる。その反動で推しに会うことに注ぎ込まれるようになった。

 

オタク以外からしたら、無駄金だ、使い過ぎだと言われるかもしれないが、そんなこと言われなくてもわかってる。

でも楽しいんだ。

 

やらなくて後悔よりやって後悔したい派だ。

そのためやり過ぎて後悔なんて日常茶飯事。いい加減学習しろや自分といつも思う。

 

今まで通ってきたオタク道は、ファンの数がエゲツなくて、私なんて単なるモブだった。

そんなやつが俳優オタという道を見つけて、ファンの数の少なさと推しとの距離感に驚きまくってるわけだ。

 

遠い存在だった『推し』という存在が、想像より近くてたまに怖い。

近いと言っても、俳優オタの中では全然初歩的くらいのことなんだろう。

でも私は怖いんだ。

モブとして過ごしてきたのに、急に個として認識されそうなのが。