ツイッターの認知はいらない
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どうも。ケチャップです。
なぜツイッターの認知をしてほしくないか。
ツイッターは「自由に発言ができる場所」だと思っている。
匿名だからこそ発信できる言葉もある。
推しが見ていると思ったら、
こう呟いたら推しが気にしてしまうかもしれない
こう呟いたら推しは喜ぶだろう
と推しの為のツイートになってしまうのが嫌だった。
それは「自由」ではなく、推しに「縛られる」と感じた。
別に過去の呟きを見られることに関しては何とも思わないが
リアルタイムで自分のツイートを万が一見られていたらと思うと
着飾った言葉を選ぶ自分が出てくると思った。
自分の言葉では無くなるようで、違和感が生まれた。
推しにはツイッターのアカウント認知はしてほしくない。
推し事をしていく上で、推しAはどんな人にも
フランクに話してくれることを知った。
いつか友達感覚で話したいという目標は、
結局は自分次第だと思った。
こっちが緊張せずに話せるようになれば、
普通に友達感覚(のようなフランク)に話せるんだと気付いた。
認知なんてなくても自分の緊張さえどうにかなれば。
推しに慣れれば緊張は解れるのかもしれないけど
推しに慣れる日なんて来るのか。
とりあえず
楽しく楽しく楽しく、近づきすぎず推し事しようと誓った。